近頃はアルバイトに精を出してます。
何の?
大原の村全体を囲む―正確には全体ではないのだけれど―防獣柵の修復のお仕事。
防獣柵とはその名のとおり田畑を獣から守るために、獣が田畑に入ってこられないようにするための鉄の柵です。高さはおよそ2メートルほどでしょうか。山際ぐるりを囲っております。
いわば巨大な鉄の檻の中に村ひとつまるごと入ってると思ってもらえればよいでしょう。
数年前に大原に設置され、そして百井に関しては一昨年我々オーハラーボも設置作業に関わりました。 僕はすでに柵が設置されてから就農したのでその効果のほどは分かりませんが、設置後明らかに獣害は減ったと耳にします。
減ったとは言えその被害がゼロになったわけではありません。
例えば川にまで鉄柵を張るわけにはいきませんから、はるか上流から、あるいは下流から川に沿ってやってきたイノシシやシカが岸にたどり着くことは多々あることです。
また山際に近過ぎて柵の意味を為していない場所もあります、地面から2メートルの高さにあっても、山際斜面に近過ぎると高さの意味はまるでありませんから飛び越えることは容易です。
鉄柵の下をくぐりぬける獣もおります、イノシシの鼻は頑丈です。
そして何よりサルはこんな柵、屁でもありません。
それでも短期的なスパンで見ると防獣柵は効果的です。
長期的に考えると、なぜ獣が田畑の作物を食べるのか、という根本的な問題の解決が避けられないでしょう。
山に食べ物が少ない、杉の無計画な植林による雑木林の減少が原因ならば昔の植生に戻し、そしてそれをしっかり管理保存する体制をつくる必要があります。
だけれども実際にそうするには、何年かかるのか、植生の回復…う〜む。
短期的な防獣柵、長期的な山の餌場の確保、現代においてはその両輪が稼働してはじめて獣との共存が図れるのだと思います。
さて、前置きが長くなりました、防獣柵を修復する仕事。
具体的にはバッファゾーンと呼ばれる緩衝地帯の整備がまずひとつ。
鉄柵の内側ようするに鉄柵が境界だとすると「人の側」ですが、鉄柵から数メートルは良好な視界を保つ必要があります。
何故ならば、「獣の側」から鉄柵の向こうに鬱蒼とした林が広がっていると彼らは鉄柵を越えてやってくることに何の気兼ねもいらないからです。
緩衝地帯をつくることによって獣に「…めっちゃスカスカやん、丸見えやん鉄の向こう、不安やなー行くのやめよかなー」という気にさせるのですね。
そのバッファゾーンの下草刈り作業。
そして柵の修復。
設置後数年経つと倒木により柵が潰されてる、あるいは獣が柵の下部から潜りこんだために鉄の網が持ち上がってるなどなど、柵として機能していないところがどうしても出てきます。
そうしたところを張りなおす作業がひとつ。
我々が関わっているのは主にこの二つです。
口にするととても簡単なのですが…非常に大変(笑)
山の草刈りは田畑の草刈りとまるで勝手が違います。
急斜面でふかふかの腐葉土の山際、歩くだけでゼハーゼハー。刈払機も重たいですしね。
そこそこ太い木も刈りますからね、これも結構大変。キックバックという刈払機使用時に気をつけなくてはいけない危険な作用もあります。
また多人数で作業をしていると、斜面に沿って上下に分かれての行動が多くなりますが、上下と言ってもしっかりと横に距離をとって作業しないと岩でも転がり落ちたら、切った木が転がり落ちたら大事故につながります。
しっかり管理されてる山ならこの下草刈りは楽チンですが、そんな山ばかりではもちろんありません。大きく育って笹、絡まりあった蔓の処理は相当に疲れます。
また斜度が大きすぎて命の危険を本当に感じるような場所での作業も。
気をつけることが多いです、気が張ります。
ですが遣り甲斐があります。
作業が里山の景観を保全することにつながると思えば、ね。
そして仕事としてお金もいただけます。
これは大切なことだと僕は思います。里山の環境保全はこれから先、ボランティアだけで継続していきにくいことだと思います。自然景観を守る仕事をすることについてはもっと国がお金を出すべきだと。
農家には農産物を生産する以外の無償の労働が実はとても多く、その無償の労働の恩恵を受けるのは何も里に住まう農家だけでは決してないということ。
町の人が田舎に来て、その美しい棚田の風景、かやぶき屋根の風景に心癒されることが多いと思います。
都会では酸素や水が商品として売られ、二酸化炭素の排出権をめぐってお金も動いてます。
だったら田舎の景観にも何らかの助成があってしかるべきではないでしょうか。
山や田畑は土地として私有財産である一方、共有財産としての側面も見逃してはならないと思います。自分で耕すことはしないけれども他人に譲るのは土地が奪われそうで怖いから嫌だとして田畑が荒れたまま放置され続け―このパターンの多いこと多いこと―、結果として里山への観光客が減少するのは地主さんにとっても良くないことだと思うのですが…。
とにかくそうした共有財産―それはかなり視野を広げれば里山に住まう人々にとどまらず癒しを求めにやってくる里山外の人にとってしても―を守るための事業。
いろいろと考えさせられます。
(じゅん)