田舎は信頼で成り立つ社会。
土地や空家の相場なんてあってないようなものなのだ。大原の空家だと、大凡30,000〜60,000円/月を見ておくべきなのだろうか。もちろん家屋の規模によるだろうが、幾人か話を聞いてみたところ、このあたりが妥当なところらしい。
交渉次第でもっと安くなることもあろう。
限界集落などでは、タダなんてことザラにある。これは先祖代代守ってきた家を朽ちさせるのは忍びない、管理してキレイにしてくれるならタダでもかまわないから住んでくれ、という心理からだ。
そのうち、家賃を支払う図式が倒壊して、管理費としてお金をもらいながら空家に住む事例が出てくることだろう。ひょっとしてもうあるのかも。
そうまでして家・土地を守りたいのはこの国のいいところでもあり悪いところでもあるのだと思う。
フランスなどは土地に対する執着が少ないのか、自国の農を守るためにもう耕せなくなったじいちゃんばあちゃんの土地を若者にまわす、のだとか。
自国の農のため、という意識があるのだろうか。そう考えると一面では日本の農村社会はえらくちっぽけに見えてしまうが、それも歴史が織り成す結果のひとつなのだろう。ずっとずっと小作を続けてようやく手にした私有地なのだから…。
マクロな視点を持ち得ることは難しい、自分にできないことを他人に押し付けるのはどうかと思う。
ただ、経済合理性が優先されすぎて道ゆく他人に挨拶することも憚られる都会を捨て、人間がまだ“生きてる”田舎を選ぶのは、決して愚かな選択ではなかろうと思う。
理不尽なことがまかり通るのも田舎ならではの事情があるせいだろう。
それを理不尽だとはねつけるか、伝統儀礼だと受け入れるかは個人の価値観の問題だ。
今、ようやく玄関の敷居をまたいだところ。
土間が見える、座敷が見える、ふと横を見ると縁側に光が差し込んでいる。
さぁ、上がろうか。
今夏の蝉声を田舎で聞くためには躊躇してる時間なんてあるはずもないのだから。
(じゅん)